オジギソウ

 小学校に上がったばかりの頃、オジギソウという植物が好きだった。手で触れると葉が一枚一枚順に閉じて下に垂れる反応の様子が子供心をくすぐり、鉢を買ってもらって自宅で何度も何度も触った。
「真紘君、お水はそんなにあげなくても良いんだよ」と周囲から心配されることもあったが、まだ子供だった自分は、“沢山水をあげたほうが良いに決まっている”と思い込んでおり、熱心に毎日何度も水をあげ、見事に根腐れを起こし枯らしてしまっていた。後になって知ったが、オジギソウは寒さに弱く日本の冬を越すことが出来ないらしい。そんなことも知らずに何度もめげずに購入しては枯らしてを繰り返した経験がある。

話は変わって、自分には昔、精神が不安定な方から異常な執着を受けることがあった。
オンライン上で同じゲームで一緒に遊んでいくなかで、毎日長時間通話をしたりしているうちに、依存関係へ発展してしまっていたのだと思う。最初は普通の友人のような関係でも、そういう方々の場合は徐々に度が過ぎた我儘な態度や過度な要求をしてくるようになり、最終的には相手を完璧にコントロール出来ないことに苛立ち、自分の前から居なくなってしまう。
そんな自分勝手に振る舞う人のことを過度に気をかけなくて良いんだよ、と言ってくれる友人も居たが、感情のコントロールが出来ずに助けを求める人がいざ自分の目の前に現れるとどうしても声をかけてしまうし、過度な要求にも出来る限り応えてしまっていた。そしてそれが相手の要求をどんどんエスカレートさせて、最後は破綻する。
ある時そうした自分の未熟な行動が、オジギソウに水をあげ過ぎてしまう子供の頃の自分と少し重なっているのではないかという皮肉に気付いた。
気になってつい触り過ぎてしまうし、そのほうが良いのかもしれないと、つい水をたくさんあげてしまう。
そうやってまた“オジギソウを育てている”のではないか、と。

そんな出来事から数年、またしても“オジギソウの彼ら”に似た人物が現れた。特徴や振る舞い、他者に対しての依存の仕方が酷似しており、これまでの事情を知っている友人は「またオジギソウを育てているんじゃないの」と茶化しながらも心配してくれた。
もう昔の自分ではない。適度な距離を保ちながら、友人としての関係を築いていけたらと考えた。そしてそれが楽しく、長く続くものでありますように。
そんなことを考えながら、趣味で描いている創作の資料として誕生花を調べていたついでに、ふと、身の回りの人物の誕生花を調べた。
彼の誕生花は奇遇にも、オジギソウだった。